■有機金属化学とは  

 「有機金属化学」とは金属と炭素との間に直接結合を持つ化合物である有機金属化合物を研究する学問であり,グリニャール試薬やチーグラー・ナッタ触媒,フェロセンなどノーベル賞に輝く数々の重要な発見がなされてきた学術的にも工業的にも重要な分野です.最近のノーベル賞受賞研究の野依良治先生による不斉水素化反応や鈴木章先生・根岸英一先生らによるクロスカップリング反応などに見られるように,有機金属化合物を触媒として用いることで様々な化合物が簡便に得られるようになりました.しかし,現在のところ,反応性の乏しい物質を温和な条件下で有用な物質に効率よく変換できるまでには至っていません.今後の「有機金属化学」の最大の課題は窒素・炭酸ガス・アルカンなどの化学的に安定でこれまでは資源としてはほとんど利用できなかった物質を有機金属化合物の助けを借りて有用な物質に変換し,資源として活用するプロセスを開発することです.

    

■クラスターとは  

 ハーバー・ボッシュ法に代表されるように化学工業では固体触媒が,その高い活性のために圧倒的な存在感を示しています.たくさんの金属原子で構成される金属表面ですが,触媒反応は「欠陥」と呼ばれる表面のごく一部の活性点で起こっていると考えられています.走査型トンネル顕微鏡など表面分析の手段が充実してきたとはいえ,金属表面でどのような反応が起こっているのか,どんな化学種が生成しているのか,その化学種がどんな性質を示すのか,それを直接知る手段は限られています.
 では,その活性点を切り出してモデル化してみてはどうでしょうか?このような観点でクラスター化学は発展してきました.3核や4核のクラスターに対しては単結晶X線回折装置や超伝導核磁気共鳴分光装置など強力な分析機器を用いた研究が可能となります.これらの分析手段を用いて,金属表面の吸着モデルとみなせる様々なクラスターが合成されてきました.しかし,これまでに用いられてきたクラスターは,ほとんどが入手容易なカルボニルクラスターであり,そのためにクラスター骨格が分解しやすいという欠点がありました.クラスター骨格の分解によって反応の理解は妨げられ,クラスターの複数の金属中心の果たす役割については理解が進んできませんでした.

■ポリヒドリドクラスターとは  

    

 高尾研究室ではカルボニルクラスターとは異なるポリヒドリドクラスターの反応化学を研究しています.ヒドリド配位子は電子求引性のカルボニル配位子とは異なり,金属中心の電子密度を低下させることはありません.そのために高い反応性を維持していることがこれまでの研究によって明らかになってきました.また,ヒドリド配位子は水素分子として,プロトンとして,あるいはラジカルとしてクラスター上から簡単に脱離し,基質が反応するために必要な配位不飽和座を容易に形成することもわかってきました.しかも,ヒドリド配位子が金属どうしを強く結びつけるため,クラスター骨格の分解が抑制されます.その結果,多くの反応は選択的に進むことがわかり,飛躍的にクラスターの反応性の理解が進んできました.

 高尾研究室ではルテニウムを中心に4族から10族までの様々な遷移金属をポリヒドリドクラスター骨格の中に取り込んだ異種金属ヒドリドクラスターの合成にも成功しています.異なる金属の間に生じる電子的な異方性によって反応を精緻に制御できるようになると期待されます.こうした様々なポリヒドリドクラスターを用いて高尾研究室では新しい反応の開発に挑戦しています.